大学のホームページには、高校生に向けたメッセージやインタビューが数多く掲載されています。
頭の良い人の文章は面白い
そういった文章を読んでいると
という名文に出会います。
研究内容のリサーチだけでなく、これも私が大学のホームページを見るときの楽しみの一つです。
【高校生に届けたい名文紹介】のカテゴリでは、大学のホームページを日本で一番読んでいる私が大学のホームページで出会った名文を紹介します。
新しい自分が育つ道
今回の文章は、東北大学理学部化学科の「在校生インタビュー」に載せられていた留学生の文章です。
東北大学理学部化学科
博士前期課程 1年
Q:
高校生に伝えたいことがあれば、一言お願いします。
A:
私にとって、人生は間違った道を踏まえて、改善していく過程の繰り返しだと思います。どんな道を選んでも、自分が求めている答えを得ることができると思います。
化学を選ぶかどうか、日本を選ぶかどうか、東北大学を選ぶかどうかは、私にとって人生の中で平凡な決定かもしれませんが後悔したことはありません。ここで基礎知識から学び始めて、そして今、一人で実験ができて、グループのみんなと議論し進歩し続けています。一歩一歩進んでいくことで、その中の苦楽を理解することができます。
将来について、私も高校生と同じように迷う時があります。研究を続けるか社会人になるか、どちらの道でも新しい自分が育つ道だと思います。化学があなたを成長させてくれると感じるなら、東北大学はあなたの舞台になれるので、迷わずこの道を選んでください。
教育とは『あるがまま』を刷新することである
「教育とは生徒の『あるがまま』を刷新することである」
これは、教育哲学者の苫野一徳氏の言葉で、私の心にとても印象深くのっている言葉です。
現代の日本の教育では
「生徒の個性を尊重しよう」
「あるがままの生徒を認めよう」
ということが非常に大切な教育思想として掲げられています。
もちろんその大切さは理解できるのですが、当時
「あるがまま(個性)を認める」
というのは、つまり「今のままで良い」ということだから一種の教育の否定になるのではないか。
あるがままを認めた上で教育するとはどのようなことなのか、ということをよく考えていました。
そのときに出会った言葉がこの
「教育とは生徒の『あるがまま』を刷新することである」
という言葉でした。
思わず、なるほど!と感動してしまいました。
あるがままを刷新していく。
自分の「あるがまま」が変わっていき、より良い自分になっていく。
その過程が教育、つまり学びにあるのだと。
言われてみれば自分自身を考えてもそうでした。
今の自分と高校生の頃の自分では考え方や生き方が全然違います(当時の私が今の私をもし知ったらびっくりすることでしょう)。
しかし、これは誰かに矯正されてそうなったわけではなく、学びの中から自然に(そして意図的に)そういう自分が形成されていったのです。
今の「私」は、一見すると人生とは無関係に捉えられる数学や物理、科学の知識・考え方やその方法論あるいは、尊敬する人の思想や文章、そういったもので造られていて、それらは「学び」から得られたものです。
よくよく考えてみるとそこには本当の「自分らしさ」なんてないのです。
「自分らしさ」というのは、実は自分以外の誰かのブリコラージュでしかないと気づきました。
そして自分とは、より良く「刷新していくもの」だと理解しました。
それ以降、本当に勉強が好きになりました。
自分自身をより良くするものは自分の外にしかないのですから、勉強するしかありません。
そうして「自分を刷新」していった結果、自分の人生が良くなっている実感が確かにあるのです。
話を、インタビューの内容に戻します。
どちらの道でも新しい自分が育つ道だと思います。
まさにこの部分は、学びによって自分が生まれ変わっていくということが示唆されています。
現代の世の風潮では、「あるがまま」「自分らしさ(個性)」を強調しすぎるあまり、確固たる自分というものがあり、そしてそれは不変だという勘違いが起こっているように感じます。
今の自分が「将来の自分」を明確に思い描けるという勘違い。
その「将来の自分像」に繋がっている道を逆算して進んでいけば良いのだと思っている人、多くありませんか?
そうじゃないのです。選んだ道によって新しい自分が育つのです。
その先には、今の自分が想像できないような(素晴らしい)自分がいるのです。それを叶えるのが学びです。
よく考えてみてください。
今の自分がちょっと想像しただけでわかっちゃうような「将来の自分」なんて全然おもしろくないじゃないですか。
そんなたやすく想像できるなら、なんのためにこの人生を歩むのですか。
将来には、今の自分が想像できないような豊かな人生が待っている。でもそれを造るのは学びであり、自分の努力なのです。
どんな人生を歩んだとしても、どんな選択をしたとしても
人生は間違った道を踏まえて、改善していく過程の繰り返し
であり
どんな道を選んでも、自分が求めている答えを得ることができる
のです。
最後に
勉強(学び)とは、良い大学に入るための手段であり、それ自体は私の人生には関係がないと感じてしまっている人に読んでほしい名文でした。
今はわからなくも学び続けていれば、将来必ずわかります。
今はそのための準備期間なのです。